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ピースウィンズ・ジャパンは、紛争や災害などの脅威にさらされている人びとに対して国内外問わず支援活動を行うNGOです。

海外人道支援

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2022.4.21

【モザンビーク】北部カーボ・デルガド州の紛争被災者の声

モザンビーク 海外人道支援

日本では大きく報道されていませんが、モザンビーク共和国最北部のカーボ・デルガド州では、2017年以降、武装勢力による政府関連施設・警察や民家などへの襲撃が断続的に続き、70万人を超える人が「国内避難民」となり、住んでいた土地からの避難を余儀なくされています。2022年3月現在も未だ一部地域で襲撃が報告されており、残念ながら事態解決には至っていません。人々は家族や友人を頼って、同州の南部や州外へと避難しています。
 
もともとカーボ・デルガド州は青い海と白い砂浜の海岸が続く、観光地として人気の場所でした。また、石炭・天然ガス・ルビーといった天然資源も豊富で、近年は資源開発が進められていた地域です。しかし、政府主導による天然資源開発に対し、一部の地元の人たちが、自分たちの権利がないがしろにされているとして不満を募らせ、そこにイスラム過激派と繋がりができ、暴動が激化したと言われていますが、武装勢力の詳細情報は未だ謎に包まれています。
 


カーボ・デルガド州の美しい海

 
そこで、ピースウィンズ・ジャパン(以下、PWJ)は現地NGOのKULIMAと共に、カーボ・デルガド州南部のシウレ郡にて、紛争地帯から避難してきた人々と、急に多くの避難民を受け入れ困難を抱えたホストコミュニティの人々を対象に人道支援を行っています。
 
アサーネさんが体験した話
KULIMAスタッフでPWJと一緒に人道支援を行っているアサーネさん(29歳)は、話を聞くと、実は国内避難民の1人でした。アサーネさんは、奥さん、2人の子どもとアサーネさんの妹とカーボ・デルガド州キサンガ郡で暮らしていましたが、2020年1月29日に自宅が武装勢力に襲われました。
 
『満月の夜でした。突然、何名もの男が我が家に入ってきて、テレビや机などを破壊しました。私は幸運なことに、屋外で水浴びをしているところでした。水浴び場は屋根がないので、家の様子が全て聞こえてきました。男が妹に「家主はどこだ」と問い詰めているのが聞こえました。妹は「外に出て行ったきり、ずっと帰ってきていない」と嘘をついていました。私はこのままだと殺されると思い、なんとか水浴び場から家の外へ逃げ出しました。今までに経験したことのない怖いという思いでした。妻と子どもたちもなんとか家から逃げ出すことができました。ただ、妹は「嘘をついている」ということで武装勢力に連れて行かれてしまいました。妹は未だどこにいるのか分かっていません。』とアサーネさんはうつむきながら語ってくれました。
 


武装勢力に襲われた辛い日の話をしてくれるアサーネさん

 
武装勢力は、15歳以下の子どもを連れ去り、 子ども兵士として武装勢力のメンバーに加えていると言います。アサーネさんの妹もまだ13歳でした。カーボ・デルガド州ではアサーネさんの妹のように、武装勢力に連行され、行方の分かっていない人が数多くいます。最近は襲撃も激化しており、15歳以下でも斬首に遭うケースも確認されています。
 

武装勢力との2度目・3度目の遭遇
『水浴び場から逃げ出してから、自分の身分証明書が家に置いたままであることに気付きました。そこで、急いで家に戻ろうとしましたが、またも武装勢力のメンバーと遭遇してしまったのです。「どこに行く?」とその男に聞かれました。「身分証明書を家に忘れたので取りに行く」と答えました。「家はどこか?家まで付いていく」と言って、男と共に家にたどり着きました。家に着くと「家主はどこだ?」と男が聞いてきます。「父親です。父親は帰ってきていません。自分もキサンガ郡を出るつもりです」と言い、男から「今すぐ郡を出て、もう二度と戻ってくるな」と強く言われました。
 
武装勢力は郡を包囲していたので、どうやって郡から出れるか分かりませんでした。とりあえず国道まで出ようと、茂みに隠れながら48時間歩き続けました。国道に出るまでに、またも武装勢力に遭遇しましたが、幸運にもどうにか国道までたどり着くことが出来ました。』
 
地元の郡を出てから
『モンテプエズ郡での仕事の話をもらいました。全てを失ったので、とにかくお金を稼がねばなりません。そこでは6か月間働きました。しかし、6か月間働いたのに、給料が支払われませんでした。雇い主に何度も話しをしてお願いし、どうにか3か月分の給料だけもらうことができましたが、残りの3か月分は未だもらえていません。』
 
その後、アサーネさんは、父親の家があるシウレ郡まで避難し、奥さんと子どもに再会することができました。現在は、PWJのプロジェクトで国内避難民や国内避難民を受け入れているコミュニティの人々に農具や農作物の種を配布し、栽培方法を指導しています。収穫物は、人々の食料の一助となるだけでなく、一部は販売され、現金収入となることを目指しています。
 


農具の配布を行うアサーネさん(手前・右)

 
『私の家は燃やされ、全てを失いました。もう何も残っていません。辛い経験をしましたが、このプロジェクトに携わることができ、自分の生活も少しずつ改善することができています。私は今まで、農業で生計を立てていました。国内避難民の中には漁師だった人も多く、農業を知らない人もいます。自分の知識を他の人に役立てることができると嬉しいです。』とアサーネさんは照れながら言いました。
 


照れながら話すアサーネさん

 
避難民を受け入れたアンダルーシさんの話
アンダルーシさん(25歳)はシウレ郡のナシヴァレ村で奥さんと3人の息子と暮らしていました。前述のアサーネさんのようにシウレ郡には、武装勢力の攻撃により家を失った多くの人々が避難してきていました。アンダルーシさんは、彼らに眠る場所を提供した人の一人です。
 
『武装勢力の攻撃が始まってから、たくさんの人がシウレ郡のこのナシヴァレ村にも避難してきました。私の叔父が家にたくさんの避難民を受け入れていました。ただ、叔父の家も大きくないので、窮屈で生活が大変そうでした。そこで、私も手伝おうと思いました。
 
私は叔父の家から、避難民の1家族(6人)を引き受けることにしました。この家族は私の知人でも親戚でもなく、全く知らない人です。全くの他人を家に招くのは正直心配な部分もありましたが、避難民の方々が経験したことを想像すると、自分にも何かできることはないかと思いました。あと、単純に叔父を手伝いたかったのも大きな理由の一つです。』とアンダルーシさんは語ってくれました。
 


畑でアンダルーシさん(右)に農業指導を行うアサーネさん(左)

 
アンダルーシさんは避難民を受け入れているということで、本事業で農具や農作物の種を受取り、奥さんと一緒に畑で農作業を毎日行っています。また、定期的にアサーネさんを筆頭に、プロジェクトのスタッフが農業技術指導のためアンダルーシさんの畑を訪れています。
『ゴマの栽培は初めてなので、いろいろ勉強させてもらっています。去年よりもたくさんの農作物が取れると嬉しいです。』とアンダルーシさんは言います。
 


アンダルーシさんとプロジェクトスタッフ(アンダルーシさんの畑にて)

 
国内避難民の中にはアサーネさんのような経験をした人が多くいます。また、アンダルーシさんのような方々の親切や助けがあって、新たな土地で生活を続けることができています。PWJも国内避難民の方々の心に配慮しながら、一人でも多くの方が安心して生活を送り、アサーネさんのような笑顔を取り戻せるよう支援活動を続けて参ります。
 


今は良い時を過ごしていることをPWJに伝えてくれたアサーネさん

 
※本事業は、ジャパン・プラットフォームの助成金と皆様からの寄付によって行われています。継続的な支援を実施するために、皆さまからの温かなご支援・ご協力をお願い申し上げます。

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