SHARE
facebook X LINE
私たちの活動

【ウクライナ危機】きっと明日、戦争は終わると信じていた。でも、もう限界だった。

ウクライナからの多くの避難民が滞在するモルドバで、ピースウィンズは支援活動を行っています。モルドバの避難所には、様々な思いで国を逃れ、不安な思いを抱えながら生活する多くの方がいます。
そんな中、最前線の様子を撮影するカメラマン近藤史門より、とある家族のお話をご紹介します。



避難所で撮影していた私を1人の避難民の女の子が呼び止めました。
翻訳アプリを起動させスマホをこちらに向けています。見てみるとそこには「ココア飲まない?」という一文。
手には避難所で配られている暖かいココアの紙コップが握られていました。
「ジャグーユ(ウクライナ語で”ありがとう”)」と言って受け取ると、彼女は照れくさそうな笑みを浮かべ走っていくのでした。
彼女の名前はアリーナ。オデーサ市から母親と避難してきた9歳の女の子です。この避難所に到着したのは取材日のわずか2日前、10月5日。現在のオデーサ市の様子と、避難に至った経緯をお母さんと一緒に聞かせていただきました。



「本当は故郷を離れたくなかったの。この戦争だって明日には終わると思い続けていたわ。」
そう語るのは母親のターニャさん(45歳)。
「初めは戦争が始まるなんて信じられなかった。ミサイルが頭上を飛んでいって初めて実感したわ、戦争だって。」

開戦直後の2月から断続的に攻撃はありましたが、ウクライナ軍の迎撃により攻撃は食い止められていたと語るターニャさん。しかし10月1日事態は急変します。
「私の家の近くに軍の関連施設があり、その近くにミサイルが当たったの。1kmぐらいしか離れていない所よ。ものすごい音で家が揺れるぐらいの衝撃だった。その時に娘が『怖い』って私に言ったの。それを見て、私は娘に伝えたの『もう何としてもここを離れましょう。』って」

ターニャさんは攻撃のさなか携帯で動画を撮影していました。赤く染まる夜空。ドーンと響く鈍い衝撃音。9歳の娘にこれ以上こんな光景を見せられない、故郷を離れる大きな決断でした。



避難のタイミングを見誤る「正常性バイアス」という言葉が災害時にはよく聞かれます。
日本でも避難所に行くことをためらう人がいるように、戦禍の国とはいえ、街どころか国を離れ、いつまた戻れるかもわからぬ避難民生活を始める決断が容易でないことは想像に難くありません。ここでの生活は今のところ順調だというターニャさんとアリーナちゃんですが、オデーサにはアリーナの兄弟 (2人とも成人) や大好きなワンちゃんたちが待っています。父親は兵士となったそうです。
いつも連絡していると言いつつ、彼らへの心配、これからの不安は尽きることはありません。

「何が恋しい?」と聞くと「家に帰りたい」と言うお母さん。そして、それを遮るようにアリーナちゃんが「平和」と答えた。「そうね、平和な我が家が恋しいわね」とお母さんは少し寂しそうな顔をして答えるのでした。



ピースウィンズ・ジャパンは、今後もウクライナの人々、そして彼らを支え続けるモルドバの人々に寄り添う支援を届けてまいります。引き続き皆様からのあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

SHARE

SUPPORTご支援のお願い

支援が必要な人々のために
できること

ピースウィンズは世界各地の地震・洪水・干ばつなどの自然災害と、
紛争や貧困など人為的な要因によって
生命や生活の危機にさらされた人を支援しています。
また、復興・開発のために支援を行います。

  • HOME
  • 私たちの活動
  • 【ウクライナ危機】きっと明日、戦争は終わると信じていた。でも、もう限界だった。