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【ウガンダ】「難民」とは?伝えたい、支援団体だからこそ迫れる事実

ランドクルーザーのダッシュボードに置いた気温計は、35℃を回っている。地面は渇き、痛いほど強い日差しを遮るものはない。草木がまばらに生えているだけだ。
ビディビディ難民居住地区
【写真説明】PWJが支援するウガンダのビディビディ難民居住地区
「突然俺の家を挟んで、政府軍と反政府軍が銃で撃ち合い始めたんだ」――。
4月、赤道直下のウガンダ北部にあるビディビディ難民居住地区。南スーダン南部の町出身のジャマール(28)は昨年9月、歩いて国境を越えた。独立記念日直前の昨年7月に始まった両軍の戦闘は、首都ジュバから各地に飛び火。27万人もの難民がここに身を寄せている。
いつもの日曜日だった。
昨年9月上旬の午前11時頃、ジャマールが教会で祈りを済ませ、帰っていた時――。パパパパンッ。破裂音が響いた。応戦するように銃声が続く。悲鳴も交じる。近くの茂みに走った。町中へ逃げる父と兄の姿が目に入ったが、声をかけられなかった。茂みで一夜を明かし、町に戻ると自宅は燃やされていた。
この数日前には、7つ年上の兄が政府軍に射殺されたばかりだった。送迎バイク「ボダボダ」の運転手だった兄は道で客待ち中に頭を撃たれていた。駆けつけると、兄は路上にぐったりと横たわり、息はなかった。遺体を自宅まで運び、葬儀を開いた。「兄は人に好かれる人だった。胸が痛い」。ジャマールはうつむきながら振り返った。
命からがら逃げてきた体験を語るジャマールIMGP4643
【写真説明】命からがら逃げてきた体験を語るジャマール/PWJがビディビディ居住地区で建設した高齢者や障碍者たち向けのトイレ
「私たち難民を苦しんでいるだけの存在と考えないでほしい」。ジャマールはそんな思いで今年2月から、ピースウィンズ・ジャパンが取り組む高齢者や障がい者向けのトイレ建設事業に関わる。建設作業員の経験を生かし、現場監督者として、他の難民たちを指導。完成したトイレは11基になる。「物資の配給を待つだけでなく、自分の能力を生かせる場があるだけで救われる」と彼は言う。
難民になって8か月。妹と再会できた一方、叔父が射殺されたとの悪い知らせも届く。父や兄弟の安否は今も不明だ。家族の連絡先が記録された携帯電話は飢えをしのぐため売った。1990年の内戦時に母親も亡くしている。ジャマールは今なにを思うのか。
「自分の国に裏切られ、希望を失った。国を捨てるしかなかったんだ」
悔しそうな目だった。目の前に立ちはだかる大きな困難をのみ込めないでいる、そんな戸惑いも感じた。重く、重く、のしかかるような言葉だった。(敬称略)
木陰で絵をかいて遊ぶ子どもたちPWJが設置した水タンクから水をくむ子どもたち
【写真説明】木陰で絵をかいて遊ぶ子どもたち/PWJが設置した水タンクから水をくむ子どもたち

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