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【東ティモール】主権回復から19年を迎えて

今日5月20日は19年前に東ティモールがインドネシアの強制併合を経て、主権を回復した記念日です。主権を回復したというのは、実は東ティモールは1975年にポルトガルからの独立を宣言し、インドネシアが侵攻を開始するまでの9日間、独立国家となっていたことがあるためです。
 
毎年5月になると住居やお店の軒先に国旗が並び、独立を祝う人びとの雰囲気を感じることができます。
 
例年、全国各地で独立を祝う式典が行われますが、去年に引き続き今年も新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う非常事態宣言中であるため式典はなく、静かな記念日を迎えています。国旗を掲げる家屋や車は多く見られ、独立をお祝いする気持ちがうかがえます。
 
2002年に主権を回復するまで、多くの東ティモール人の血が流れ、人びとは家族や友人を失いました。多くの犠牲の上に今の平和な東ティモールが成り立っていることを考えると、感慨深いものがあります。
 

 
2002年の独立当時のこと、19年が経った今の気持ちについて、PWJスタッフにインタビューしました。
 
独立の翌年2003年からレテフォホ事務所のセキュリティー担当を務めるアグス。いつも穏やかで優しい彼ですが、東ティモール独立の機運が高まる90年代後半、森に隠れて活動していた独立運動家たちに食事を運んだり、活動を取り締まるインドネシア国軍の情報を伝えたりと、独立運動家を陰で支えていたそうです。
 


アゴスティーノ・デ・デウス、通称アグスと娘のファスクエラちゃん

 
PWJ:今年も独立記念日を迎えます、どんな気持ちですか?
アグス:嬉しいです。もう19年が経ってしまったけど、嬉しいです。ただ、コロナの影響で独立を祝うセレモニーがないこと、親戚や友人と会って喜びを分かち合う事ができないことがとても寂しいです。
 
PWJ:独立当時のレテフォホはどのような状況でしたか?
アグス:独立したことをラジオで聞いて、とても嬉しかったです。しかし、レテフォホに住んでいたインドネシア人と、独立することに反対していた東ティモール人たちが暴徒化し、独立を喜んでいた人々を武器で襲ったり、家を壊したりし始めたため、森の中へ逃げました。
インドネシア人と反独立派の人びとがレテフォホから去るのを待って、恐る恐る森から村に戻った時には多くの家が壊され、焼かれてしまっていました。家財が盗まれていた家もたくさんありました。それでも、東ティモールが独立したこと、私たちを見張り、日常的に暴力行為を行っていたインドネシア国軍がいなくなったことがとても嬉しくて、村中がお祭り騒ぎとなりみんなで抱き合って喜びを分かち合いました。
 
PWJ:独立から19年、平和になった今、夢はありますか?
アグス:私には子どもが6人いますが、どの子にも教育を受けさせたいです。私は小さなころから独立活動家への手助けをしていました。学校は行きたかったけれども、学校にはインドネシア軍が見回りに来るため、捕まるのが怖くて行くのをやめてしまいました。
若いころ、私は大工仕事をしてきましたが、今は昔よりも仕事が少なく、仕事を得るのが大変な時代です。なので、子どもには教育を受けさせて仕事を見つけてほしいと思います。幸い、私は2002年にPWJがコーヒー事業をレテフォホで始める際に、事務所建設の大工として仕事をしたことがきっかけで、2003年にPWJのセキュリティーの仕事を得ることができました。それから毎日一生懸命働いて今は昔よりもずっといい給料がもらえるようになり、家族を養うことができて幸せです。
 
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東ティモール現地スタッフで最も長い勤務歴を誇るアディーノ。レテフォホで困ったときはアディーノに相談したら解決するといっても過言ではありません。レテフォホでフィールドマネージャーを務める彼は、もともとドライバーとしてPWJで働き始めました。ディリからレテフォホの各集落へ支援物資を何度も運搬するうちに、レテフォホの地理に明るくなり、地域住民と信頼関係を築いていったそうです。
 


アデマール・マーティンス・ドス・サントス、通称アディーノ

 
PWJ:今年も独立記念日を迎えます。どんな気持ちですか?
アディーノ:明るい未来を目指して頑張りたい気持ちになります。独立を祝うセレモニーがないけど、今年は去年よりもコロナの流行が大きいから、やらない方がいいと思っていたので、正直なところほっとしています。
 
PWJ:2002年に独立をした時はどんな気持ちでしたか?
アディーノ:インドネシア軍や反独立派の暴力から解放され、やっと平和な日常が過ごせると安心しました。1999年の国民選挙を機に暴動が頻繁に起こり、ディリ市内のほとんどの家屋の破壊や放火が続き、とても恐ろしく苦しい時代だったからです。そんな時代だったから、平和のために何かしなければと思っていました。
私は、1999年、東ティモールがひどい状況になっていた時にPWJが遠い日本から支援に来てくれたことを今でも感謝しています。PWJに就職したことで、家族を養うことができるようになりましたし、政変によって暴動が起きた2006年にはPWJのスタッフとして国内避難民への支援活動を行えたことがとても嬉しかったです。また、昨年3月、今年4月に起こった洪水災害支援でもPWJの一員として被災者支援を行えたことを誇りに思います。
 
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今回のインタビューで、二人のどちらからも平和の訪れに対する喜びが大きかったことがうかがえました。
彼らが望んだ今の平和な生活が彼らの子ども世代、それより先の世代に続くことを願い、引き続き東ティモールでの支援活動を行っていきます。
 


レテフォホで活動するPWJスタッフ、左から二人目がアグス、右端がアディーノ
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