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私たちの活動

【動画】26年ぶりのふるさとの地で、生活を再開するために(1)

ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は、内戦が終了した2009年からスリランカ東部トリンコマレ県の国内避難民キャンプにおいて、食糧支援を行いました。2010年から東部と北部での帰還民支援を継続して実施しています。そして2012年7月からは、北部のムラティブ県のウェリオヤ地区を新たな事業地として、生計支援パッケージの配布事業を展開しています。26年に及んだ紛争終結後、長い避難生活から故郷に戻った人びとが、ゼロから生活を再建するための支援を目的としています。
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 [動画] 生計支援物資を配布しました ~ヤギ配布の様子~ 
2012年10月、支援対象の村に帰還していた42世帯に、生計支援パッケージの配布を開始しました。
今回のルポでは、生計パッケージを受け取り、活用を始めた人びとの声をお届けします。

 

軽食屋を始めたLeelawathyさん

女性住民組織メンバーの一人でもあるLeelawathyさん(23歳)は、小規模ビジネスパッケージを受け取り、軽食屋を経営することにしました。「私の叔母がお店を切り盛りしていたので、私もずっと店の手伝いをして育ってきました。でも自分のお店を持つのは今回が初めてだから、とっても嬉しいです。」10月6日にお店をオープンしてから、PWJが提供した調理器具を使って、ストリング・ホッパーというスリランカの朝食を作って販売し、夕方にはロティという軽食を販売しています。「今は一日10人くらいのお客さんがきます。少しのお金かもしれませんが、この支援がなかったら私には収入が全くありませんでした。一日が終わるころに少しの収入を得ることができて、本当に嬉しいです。」将来はメニューを増やして売上を伸ばし、大切な一人息子のために活用していきたいとのことです。


 
Leelawathyさんご一家

 

床屋を始めたRanjithさん

Ranjithさん(65歳)は、1986年に紛争の影響で避難を余儀なくされました。それまで営んできた床屋も閉店せざるを得ませんでした。やっと紛争が終わりふるさとに戻っても、資金を確保できなかったことから、床屋の再開を断念していましたが、PWJの小規模ビジネスパッケージを受け取り、10月23日に再び床屋を開くことができました。「この村で唯一の床屋」の開店です。「この道38年。床屋は私の天職です」。38年間、ずっと大切に持ち歩いていたハサミに加え、PWJから提供された鏡やイス、バリカンや剃刀も並んでいます。「まだ始めたばかりでお客さんは少ないですが、5か月後を見ていてください。今よりずっと繁盛しています!」と頼もしく語ってくれました。Ranjithさんの夢は、この床屋を小規模でもキラリと光る、おしゃれな場所にすることです。Ranjithさんの定年はまだまだ先になりそうです。
 

左官職人のJayasingheさん

石工・左官パッケージを選んだJayasingheさん(65歳)は、道具を受け取ってから、毎日大忙しです。この地域では、本事業と同時期にスリランカ政府による住宅建設事業が開始したことから、石工、左官、大工のニーズが急増しています。

「すでに12世帯から住宅建設の石工・左官作業を頼まれていますが、忙しくて間に合いません。今はひとまず、自分の家も含めて6世帯の家作りを担当しています。」石工・左官の仕事を始めて、この道20年。叔父さんが石工だったことから、彼の背中を見て育ったそうです。「叔父がやっていた仕事にいつも興味がありました。それが、今でもモチベーションになっています。」Jayasingheさんがひっきりなしに仕事をしている傍らで、「疲れて帰ってきた旦那を支えるのが、私の仕事よ。」と、奥さんも笑顔で話してくれました。

PWJの生計支援パッケージを通して、スリランカの人びとは生計を立て直し、村全体が活気づいています。
26年ぶりのふるさとの地で、生活を再開するためのパッケージは、約2万円から4万円で提供できます。支援を必要としている人びとのために、皆さまからの温かいご支援をよろしくお願いします。
次回は、農業・畜産パッケージを受け取った人びとのいまをお伝えします。

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