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私たちの活動

キャンプに家族を残して20年ぶり故郷へ

ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は、2009年10月からスリランカ東部のトリンコマレ県で、内戦で発生した国内避難民が生活しているキャンプで食糧配布や給水支援を実施していますが、10月下旬から国内避難民が徐々に故郷へ戻ってくるようになりました。PWJをはじめ、県内で活動する国連機関やNGOは分担して、こうした人びとへの生活支援を行うための基礎調査を進めています。調査でわかってきたのは、帰還を果たしてもなお、家族離散や滞在場所の不安などの課題を抱える彼らの厳しい現実でした。

離れたままの母の写真をみる少年と妹

離れたままの母の写真をみる少年と妹 (C)PWJ

PWJが調査を担当したのは、県北部のクッチャベリ郡の一部です。クッチャベリ郡は、県内でも主な帰還先のひとつで、約100km離れたワウニア県やムラティブ県に避難していた人びとのうち、反政府組織との関係がないことを政府軍から認められた家族だけが戻ってきています。その数は11月末時点で683家族です。
クッチャベリ出身の避難民に多いのは、1990年に反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)が県内で起こした警察署襲撃事件の後、政府側からタミル人への報復を恐れて自主的に避難し、その後ずっと帰ってこなかった、というケースです。
一軒一軒、家族ごとの事情を聞く調査で浮かび上がってきたのは、避難する以前に住んでいた家は壊れて失われ、親戚の家に2~3家族が身を寄せているという状況でした。また、家族のだれかがまだキャンプに残されていて会えないという例も珍しくありませんでした。

慣れない仕事で腕を痛めてしまった女性

慣れない仕事で
腕を痛めた女性 (C)PWJ

ある女性は、帰還後、2人の子どもを養うために慣れない地引網の日雇い仕事をしていました。しかし、腕を痛めてしまい、今は働き口がありません。夫は、まだキャンプから戻れません。

別の家では、母親の写真をのぞきこんでいる少年に出会いました。母親は別のキャンプに収容されているので一緒に帰ってこられなかったそうです。少年には妹がいました。「妹は小さすぎて母親の顔を覚えていないのでは」と叔父は悲しそうに話しました。
住む場所の問題も深刻です。「いつまで親戚のもとで生活できるか」という質問に、「できるだけ早く出たい」と答えが返ってくることも少なくありません。結婚した娘を頼って帰ってきたものの、娘の家族も狭い家に住んでいるので身の置き場がないという老夫婦もいました。

「生活する場所があるだけ幸運」と話す女性

「生活する場所があるだけ幸運」
と話す女性 (C)PWJ

姉の嫁ぎ先で生活する20代前半の女性は、戦争中に両親を失いました。自身も目の病気と喘息を抱え、とても苦しそうでした。それでも「ここに身を寄せることができて幸運だと思う」と話してくれました。

親戚同士の助け合いが、故郷に帰ってきた元避難民の生活を、かろうじて支えています。

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