ピースウィンズ・ジャパンは、紛争や災害などの脅威にさらされている人びとに対して国内外問わず支援活動を行うNGOです。

海外人道支援

Overseas

2016.11.2

アフリカブログ 嵐に立ち向かう狼(by S.T)

ケニア 海外人道支援

これは、アフリカ赴任が決まった男が、日々の暮らしや仕事の内容を通じて、アフリカを伝えていくブログである。

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黄昏時のナイロビ生活(2018/12/10)

ナイロビを離れ、カンパラに拠点を移す日取りが決定した。
12月23日。東アフリカは、キリスト教の影響を受けているせいか、クリスマスの少し前から休暇モードに入り、当団体のケニア事務所も今年は21日を最後の出勤日にクローズする。その後すぐにカンパラへの移動となる。
たかが3カ月、されど3カ月、
最初は日本を離れるさみしさを払拭できずにいたが、監査という嵐にのまれ、お米を食べる機会がだんだんと無くなり、マトケ・芋が主食となり、キリンビールの味も忘れ、頭をまるめ、現地交通機関をのりこなし、乗馬という新しい趣味もみつけ、ハバリヤコ(How are you)、ンズリ(I’m good)、という言葉が自然と出るようになり、すっかり減った体重ももとに戻った。そんなようやく現地に溶け込み、楽しみを覚えてきた中での、ナイロビよさらば、である。気づけば、通りを歩けばあれほど言われた、ニーハオ、ももう余り言われなくなっている。。。
この間に少しでもケニア、という国を理解できたであろうか。
外国で暮らすと、日本のようにはいかずイライラすることが多くなったり、国民性を比較しがちだが、ことナイロビにおいてはその様な事は全くなく、寧ろ、ケニア人は、想像以上に、勤勉であり、正直であった。元英国の植民地で、ほぼ全員英語が達者でコミュニケーションに困ることはなかったというのもあろう。経済に目を移すと、新しいショッピングモール等が次々と建ってきており、バブルを匂わせるところもある。国立公園を代表に観光スポットも沢山存在する。紅茶やコーヒーも美味しい。そんな観光業や農業を主な産業として発展してきたケニアだが、これからはどこに向かうのであろうか。
いつも仲良くしているタクシードライバーのケニア人ミルトンは、東アフリカの間で同じ英国の植民地であったケニアとタンザニア、こんなに経済発展に差が開いたのはなぜか、との問いに、自負をもってこう答える。
「ケニアは、独立後も外国資本を追い出そうとはせずに寧ろ残して彼らから学ぼうとした。」
こうべをたれて実利を得る、まあこれは商売の世界でも鉄則ではあるが、戦争に負けて必然的にそうなった国もあるし、東アジアや東南アジアの歴史を見ても同じことがいえよう。しかし、現在のケニアは少しばかり状況が違う。蜜月状態にある中国はさておき、外国人に仕事をとられてしまう、という恐れからか?ワークパーミットおよびそれに付随するVISAを取得するのが大変困難になってきているのだ。実は、私がこうして3カ月がたとうとしている今、カンパラに移動せざるを得ない理由もここにある。実際、VISA問題に関しては何回か嫌な思いもした。
一国の動きも一人の人間と同じなのだろう。多分に感情が入る。なんにせよ、何か進化や進歩を遂げるには、自分の中で異質なものを取り込むことが必須であると、常々言われてはいるが、そうたやすくいかないのが人情。保守と進歩、どちらかのふり幅が大きすぎると、反動で片方が大きく押し寄せる時がくる、それが今のケニアなのか。
一方、プライド?を保ったタンザニア、、短期的に見れば経済面では後塵を拝したかもしれない、だが長期的にみればわからない。ハーフは、両親の優性遺伝子を引き継いで、とても優秀な子や可愛い子が生まれる。両親が異質なものを取り込んでくれた賜物であろう。しかし、劣性遺伝子も表に現れないだけで、そのまま何度も離れすぎた遺伝子との交配を続けると、数世代後には、潜在化されていた劣性遺伝子が一気に顕在化し、例えば、聞いたこともないような病気を発症させるケースもある、と移民受け入れが大変進んでいる英国のロンドンの街で聞いたことがある。恐るべし、、、。
という事で、ここは、「何事もほどほどに。」という余りに人口に膾炙した言葉で丸く収めよう。昔の中国人もギリシャ人もシャカ族の王子もそのような事言っていたし。
まあ、そんなこんなで、クリスマス前にはカンパラ移動である。ナイロビでやり残したことがないよう、残り数週間をめいいっぱい過ごしたい。
そう思い立ち、来週は少しばかり休みを頂き、あのマサイマラに行くことに決めた。ナイロビ国立公園やナイロビ市内の動物園は訪れてきたが、いよいよかの有名なマサイマラ!である!!
きりん、ぞう、サイ、ライオンを見に、上述のミルトンと一緒に2泊3日の、サバンナの旅に出かけてくる。
昔、週刊少年ジャンプで、「ジャングルの王者ターちゃん」、という漫画が連載されていて、それなりに人気あったし、私も好きでよく読んでいた。アフリカのサバンナに捨てられた男の子がチンパンジーに育てられ、人間離れした身体能力を身に着け、サバンナの動物達を密漁者から守る、という物語である。まあこれだけ聞けば、真面目な漫画に見えるが、エッチな描写も結構あるギャグ漫画である。他にサバンナと聞いて思い浮かべるのは、ジャングル大帝レオ!そして、ライオンキング、といったところか。いずれにせよ、少年の頃のわくわく感がよみがえる。動物だけでなく、かつてみた物語の人物たちの背中をおって、あの時の少年に立ち返ろう。ターちゃん、ジェーン、そして、レオ!に会えることを願って。
♬(突き動かされるあの時のまま、そういつかの少年みたいに)♬
最後に、このブログでとりあげたいと思っていたが時間がなくできなかったものを、ナイロビでの思い出として掲載する。
 
 

監査準備を終えて(2018/11/12)

ナイロビに来てから、一つの仕事が山場を越えた。
監査対応の準備に追われていたが、とりあえず無事に準備は終わった。
これまでの仕事上、営業畑にどっぷりつかってきたので、こんなに数字や書類とにらめっこしたのは初めてであった。
これまでの人生も、この仕事についてからも、どちらかというと、「事業を始める」方の仕事に携わっていたので、今年最後の大一番の仕事として、「クローズをする」仕事が舞い込んできた。
先発、中継ぎ、抑え、人によって得手不得手はあり、得意分野を伸ばしていけばよいと思う。ただそう考えると、私はばりばり先発希望なのだが、全体を経験してみないと、見えてこないこともある。今回、抑えの仕事をして良い経験になったと思う。
今後、またどこかで物事を始める仕事についた際、ゴールがわかっていると動き易いこともあるだろう。
また、これと似たようなことで良く言われる事だが、物事が動くとき、特に革命期など、まず物事を壊す(古い価値観を否定する)役割の人がいる、そして新しい土台を創る人がいる、またそれを恒常的に保つ役割の人がいる、と言われる。(確か司馬遼太郎さんが言っていたと記憶しているが。)仮に、自然界そして人間社会の歴史も、古い体制が崩れ新しいものが生み出される、というサイクルの連続で出来ているのであれば、今、自分が生きているこの世界は、どの時期にあてはまるのだろう、江戸時代でいうと、幕末までは遠いまでも化政文化の時代あたりか?などと今よりもっと若い時分は考えたものだ。
しかし、このアフリカの地に来て思うのは、まだまだこの世の中は、「世界史」、として一つのまとまりでいい現わせられないのではないか、という事である。私の生まれ育った日本は、私が中学だか高校の頃からずっと、失われた何年だとか言われ続けてきて、イノベーションが必要だとずっと言われ続けたままでおり、何か古いことを打ち壊し新しいことをしなければいけない、という強迫観念みたいなものすら感じる。一方で、私がこの地で携わる南スーダンは、既に破壊され、今、平和が必要なのだ。同じ21世紀に生きていても、日本人と南スーダンの人では、求めているものはまるで違うし、同じ瞬間に生きていても、流れている歴史のサイクルの中の時代感覚は全く違う。一昔前アジアを訪れると、少し前の日本の姿だ、とよく言う人がいたが、まあそれと同じ感覚だろう。日本が失ったものをアジアに求めて旅立っていった人がいる、一方、日本に未だない新しいものを求めてアメリカ等へ行きITや宇宙産業といったイノベーションを追いかけた人がいる、そして、我々の様に、今、復興が必要な場所へと赴く人がいる。どの国が古いか新しいかではなく、ただ国によって生きている時代感覚というのはかなり違うという事である。メディアでは、先進国の様子や自国の報道に傾きがちなので、どうしても、自分の国の時代感覚が世界の時代感覚と一緒なのではなかいと錯覚してしまうが、そうじゃないことをこのアフリカの地で思い知らされる。また外国の友人など出来て深く付き合うと思わされることでもある。ただし、これがやがて、人類全員同じ時代感覚になり、フランシス・フクヤマさんの言うようにEnd of historyになるかは私にはわからない。ただこの業界で働く以上、No one will be left behind の精神は常にもっておかなくてはならないが。
と、余談が多くなってしまったが、何が言いたいかというと、自分がどういった社会状況の中で働きたいかと考えたとき、もし仮に今の日本の時代感覚と合わないのであれば、例えば、中継ぎの仕事がいやならば、世界に目をわたせば、先発や抑えの仕事はいくらでもあって必要とされている、という事である。社会情勢は自分の力ではどうもできないが、身をおきたい状況を選んで仕事の舞台を自分で選ぶことはできるのだ。
そういう世の中になってきたことに感謝しつつ。
監査準備が終わったので、監査自体、無事終わりますように。
 

カンパラ(2018/10/22)

カンパラに行ってきた。
予想通り、ナイロビより素朴で、未発達の部分が多々ある街であった。
しかし、なんともいえない郷愁と温かみを感じさせてくれるとても愛着の湧きやすい街である。
お洒落なレストランやカフェも揃う。
物価も安く、食事もナイロビよりも新鮮でおいしい。(これはナイロビの人も認めるところである。)
特に、アボガド・各フレッシュジュース・ハチミツ、等を混ぜたスムージーは絶品であった。
治安もナイロビより良さそうだ。
今回は、現在携わっている事業の新メンバーお披露目もかねて、ナイロビ・ジュバ(南スーダンの首都)から人が集まりミーティングを行った。シエラレオネ人、ケニア人、南スーダン人、日本人、国際式豊かなメンバーで繰り広げられ、これからの事業戦略やセキュリティ対策を議論しあう。我々の事業地は、南スーダンになるのだが、日本人の渡航が禁止されている為、こうして南スーダンの現場から生の情報をもってきてもらえるとすごく助かる。
少しずつではあるが、色々な変化が見られる。2018年6月に、対立するディンカ族、ヌエル族の両親方がアディスアベバで面会し、和平合意を締結し、4年半にも及ぶ内戦が収束に向かう兆しは見せてはいる。しかしここにきてヌエル同士で派閥ができ諍いが起きている。
国外に亡命しているヌエルの親方もジュバ入りはまだ実現できておらず、いざ入国の時にはどうなるかわからない。
また南スーダンとは関係ないことだが、コンゴで発症したエボラ出血熱に関しても、神経質になっている。
我々の事業も十分に安全を考慮して実行しなければいけない。
そんなこんなで、ナイロビに戻ってきたわけだが、ナイロビに戻ると、都会だと思わされる。
ナイロビ生活はVISAの関係もあり3カ月滞在したのち、今回出張で訪れたカンパラにベースを移すことになる。
次の拠点へ一足先に下見をしてきた感じだが、総じて、悪くない印象、いやナイロビよりいいか??とも思えるところであった。
それぞれの良さがあろう。  以下、写真。

事務所の玄関が開かなくなるというハプニング発生
事務所の玄関が開かなくなるというハプニング発生
例のアボガドのスムージー
例のアボガドのスムージー
夜もなかなか
夜もなかなか
宿から見える風景
宿から見える風景
良く訪れたカフェ・レストランの看板 (このブログと同じく狼)
良く訪れたカフェ・レストランの看板 (このブログと同じく狼)
そのレストランで食べたハンバーガー
そのレストランで食べたハンバーガー

食べ物の写真ばかりになってしまった。まあ、それだけ美味しかったという事で。

ジャカランダの季節(2018/10/14)

ナイロビの町はジャカランダの紫で色づいている。
ここナイロビに来るまでは、この花の存在をしらなかった。
今、春といえるナイロビでは、桜にも似た、ジャカランダの花があちらこちらで咲いている。
薄紫色で、とても綺麗だ。桜ほど強調はしなく、ひっそりと、それでも確実に町に変化を彩り、春の訪れを知らせてくれる。
咲いている姿をみると、つい目で追ってしまう。堂々としたその立ち振る舞いからは貴賓と優しさも感じる。
桜同様、吹雪くと、足元に花びらの絨毯ができる。耐久性は桜よりはありそうで、そこまで儚さを感じるものでなく、
しばらくは楽しませてくれそうである。
宿泊先から勤務地までの道に、ジャカランダロードというのがるが、その道と事務所周りの写真を添付しておく。
しかし、日本のように、ジャカランダの下に集まって宴会をしましょう、という発想には至らないようだ。
あんな、のりは日本だけなのか。それだけ、治安が良く平和である証拠なのだろう。

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明日から、初めてウガンダに足を踏み入れる。色々な国を訪れてきたつもりだが、まだ初めて訪れる国があるという事は嬉しいものだ。
ウガンダの首都カンパラ。ナイロビよりは治安がよく素朴である、と聞いている。楽しみだ。最近、ちょいとばかり、ナイロビはやはり油断ならない部分もある、と感じた事もあったばかりである。素朴なカンパラで羽を伸ばしてこよう。

ナイロビの休日(2018/10/7)

ナイロビの生活が一週間たった。
今、自分がやらねばいけないことが見えてきた。
あの後、スラウェシでもまた大きな地震がおき、多くの方が被災された。
胸のざわざわが収まらない一週間であった。
現場にかけつけた仲間を信じ、自分は目の前の課題に打ち込むべく。
ナイロビは南半球にあるため、これから夏に向かい、前回6月に来た時に比べ、寒さもだいぶ和らぎ、心地よい気候となっている。
そして、標高が高いせいか、空が近く感じる。雲もきれいだ。
しかし当たり前だが、日本人が全然いない。事務所は同じ日本人がいるが、休日等一歩外を出て街を歩くと、黒人しかいない。だいたいは、ニーハオと声をかけられ、たまに、アニュハセヨ、になる。日本人一人の力で、どこまで、こんにちは、を広められるか。
ナイロビのダウンダウン近くに、ウフルパークという市民の憩いの場がある。
ちょっとした遊園地もあり、休日は家族連れで賑わっている。
しかし、公園となると、ランニングをしている人の姿が付き物だが、N.Y.のセントラルパーク然り、バンコクのルンピニー公園然り、このウフルパークでは、身体を動かしにきている人の姿はなく、子供が遊具で遊んでいるか、芝生でまったりとしているか、だけの光景である。まあ、それでも、のほほんとして、癒される。そして、喉がかわくと、JAVA Coffee(日本でいうスターバックス的な立ち位置か?)かArt café (JAVAよりお洒落)でアイスコーヒーかレモネードを飲んで一息つく、そんな休日である。

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ようやく本赴任(2018/9/28)

すっかりブログが滞ってしまった。あの後、半月にわたる更なるナイロビ出張、東京出張、インドネシア出張を経て、ようやく、本赴任が決行され、渡航へと至った。
アフリカ赴任を言い渡されたのが3月。当初は6月からの赴任予定であった。しかし、蓋をあけると、実際は9月下旬。その間にナイロビへ2回の出張があったものの、やっと満を持しての本赴任である。この6月~9月の間に恐ろしい程色々なことが起きた。
私がアフリカの地で行う任務は、1年間のプログラムであり、複数の団体のプロジェクトからなるが、ある外的事情により、プログラムの開始自体が6月から9月に大きくずれ込んでしまった。その間に2回の出張を経て、今後1年間かけて行うプロジェクトの形成にじっくりと携われたのは幸運なことではあった。ナイロビ出張中に計画書を練り上げて提出し、その後東京に戻り、承認を得るための委員会にて本事業のプレゼンを終え、承認プロセスを無事に通過した時の安堵感と達成感は、得難い経験であり、ふつふつとした充実感を覚えたものだ。それが8月上旬のこと。その後家を引き払い、しばらく日本に滞在したのち、9月開始に向け8月末に赴任かと思いきや、なんと想像もしなかった所に私はいたのだ。
インドネシアロンボク島。7月29日および8月5日にマグニチュード6を超える大きな地震により、インドネシアのロンボク島で多くの家が倒壊し、死者も出て未だに40万近くが仮設テント暮らしをしている。アフリカの嵐に立ち向かう予定でいた私は、いつの間にか、インドネシアの嵐に立ち向かっていた。
アフリカで待っていてくれている諸先輩方の為にも早くアフリカにという思いがあり当初は2週間でロンボク島を離れる予定でいたが、被災地の状況などにより、気が付けば1か月近く滞在することとなった。しかし、ここでの経験は、今後の自分の仕事を考える上でも大きな契機となった。この目で震災直後の現場をみて、一から事業形成に携わることができ、現場の声に耳をかたむけ支援を直接行えたことは、自分にとって大きな経験となった。メディアでは、ジャカルタでのアジア大会、関西豪雨、北海道地震により、すっかり影を潜めてしまったが、いまだに多くの人が仮設住宅にすら入れず、簡易テント暮らしであり、学校や医療施設もままならず、地震の影響で井戸は涸れ、給水網も寸断され、飲み水に困っている世帯がごまんとおり、これから本格的な雨期に入る中、衛生面にも大きく左右しかねない状態が続いているのである。地元の支援団体と提携を結び、住宅支援や給水絵支援を行うことになったのだが、普段の仕事のやり方の違いからすれ違いはあったものの友情関係に近いものを得ることができ、学びも沢山あった。
こうしてロンボク島での事業や状況に後ろ髪をひかれながらも、ようやく、アフリカに旅立つことになったのだ。既に1年間のプログラムは動いている。行かなくては。今度ことアフリカの嵐に立ち向かなくては。
この仕事をすると、政治、世界情勢、紛争、自然災害、など様々な外部状況により、自分の居場所が変わってしまう。渡航計画も予定どおりいかないことの方が多い。この業界に入ったからには、「予定は未定。」との名言を残してくれた先輩もいる。改めて、紛争や自然災害を受けた人達への支援を志すうえでは、どこでもかけつけるんだという覚悟と意志力が問われる。思いや執着は、時間と場所に縛られる。しかし、人間の意志力は、時間と場所を超えていく。
ナイロビ生活がまた始まる。前回の出張では、初めて難民キャンプにも足を踏み入れた。命のバトンをつなげる旅がまた始まる。

ナイロビから戻って(2018/6/18)

約一週間のナイロビ出張が終わった。
初めてのアフリカ、様々な出会いがあった。
人生、色々経験してきたつもりだが、まだまだ経験していない事はあるものだ。
人が異国に地に惹かれるのも、そんな未体験へのあこがれもあるのかもしれない。
まず、異国の地で真っ先に人が直面するのが食との出会いだろう。
ここケニアでは、基本的に肉が多い。鳥、牛肉、たまに豚肉、さらにはヤギも出てくる。
それを煮込むか焼いたものを選んで食べる。
地元のケニア人に連れられていったローカル色満開の店では、肉料理に飽きていたので、ティラピアというビクトリア湖でとれる魚を注文した。さらに、トマトと玉ねぎのサラダ、茹でたホウレンソウ(これがどこにでも出てくる。)を付け合わせ、ウガリというトウモロコシを練って蒸したものを米の代わりとして食べる。
そして、何より驚いたのが、、、手で食べるということ、、、。地元の人曰く、その方が、料理の味を直に味わえて美味しい、という。
実は、その店に入る際、入り口前に手洗い場が設置されてあり、皆そこで手を入念に洗っており、なんとアフリカ人は奇麗好きなのだろう、と感心をしていたが、入店後10分で理由がわかった。手で食べるのはインド人だけでは無かったのだ。
こうして、人生初めて、魚を手でほぐし、手で食した。
そして一緒に行ったケニア人は、煮込んだ肉料理を注文したのだが、最後のスープ状のものはどうするのかと気にしていたところ、
流石に最後は、スプーンを頼んでいた。これは、少しがっかりしたが、長渕剛が伝説の東京ドームライブで、開始前に「今日はギター一本でやります」といって、途中バックバンドが付いた時のような、愛嬌のようなものだろう。
他に、ナイロビに関して、触れておきたいのは、なんといっても、国立公園。ケニア国内で、自然の動物を観賞できる国立公園は10以上もある。今回は、時間の制約上、飛行場から、そして、市内から最も近い、ナイロビ国立公園に立ち寄ってきた。これは、フライトが午後からなど、ちょっとした時間ができた人にはもってこいの国立公園である。
そして、行ってわかったが、国立公園がナイロビの近くにあるのではない、ナイロビそのものが、国立公園の中にあるのだ、という感覚である。公園の中に一歩入ると、オフロードになり、地平線が広がる。そこには、キリン、カバ、ライオン、インパラ、バッファロー、サイ、ジャッカル等がそれぞれの種類通しで群れながら生きている。そして、広大な敷地の中から、遠くに目を移すと、ナイロビ市内全体が見渡せる時がやってくる。
そのナイロビを見ると、当たり前だが、この自然の大地の延長線上に、コンクリートを敷き、ビルを建てたのだ、という事が良くわかるのだ。自然があって、そこに都市が出来る。東京などの都会に住んでいると忘れてしまいがちな感覚である。ナイロビ市内にいると、見たこともない大きな鳥が空をばっさばっさと飛んでいる事をよく目にする。そして飛行場近くには、時折、動物たちが出没するという。さらに驚くべきは、そんな国立公園内で、鉄道建設を行っていたことだ。柱が立ち並んでいるだけで完成はまだまだ先だろうが、行く行くは隣国のウガンダまで行きつく計画らしい。近い将来、鉄道からインパラやキリンの群れを見れる日がやってくるだろう。自然をそのままに、都市や交通網が入ってくる、日本ではお目にかかれない不思議な光景であった。因みに、その鉄道建設を請け負っているのは中国企業である。南米など旅行した時もそうだが、黄色肌の人をみると、ニイハオ、と必ず声をかけられる。やはり、世界全体でみると、黄色人種代表は中国人なのだ。
そして、国立公園で発覚したある事実。アフリカには狼は存在しないらしい。。。狼は孤独なイメージが付きまとうが、群れる生き物だ。
しかしここアフリカでは外来種となり、一匹オオカミとしての覚悟が問われる。日本狼が、少しでもプレゼンスを高められるよう頑張ろう。
ナイロビにいる間に、ロシアワールドカップが開幕した。モスクワとナイロビは時差がなく、ナイロビにいる限り、徹夜で観戦して次の日の仕事が眠い、という事にはならない。ケニア人が誇りにするスポーツは、なんといっても陸上、そして最近はラグビーも強い。サッカーもプロリーグがあるとのことで、ワールドカップも盛り上がっておる。ケニア人曰く、同じアフリカ大陸のチームを応援する、とのこと。アジア人には余りない感覚だ。そして、アフリカのチームの次は日本だ、と嬉しいお世辞を頂いた。
まだまだ、このアフリカでは、未体験の事が待ち受けているだろう。
7月中旬の本赴任まで、ワールドカップでも見ながら、準備を進めよう。

はじまりはじまり(2018/6/10)

このブログは、アフリカ赴任が決まった男が、アフリカの地で何を思い、感じ、行動を起こすか、日々の仕事や、ちょっとした日常の発見まで、徒然なるままに書いて、アフリカをよく知らない同胞たちのもとへ届けようという試みである。
とりあえず、7月の本赴任前に、ナイロビへの出張が決まった。
アフリカというと赤道直下で暑い、という勝手なイメージがあるが、ナイロビは標高が高く、とても涼しいという。
寧ろ、赤道より若干南であり、これから冬に向かい、今は日本より寒く、朝晩は10度前後まで落ちるという。
恐るべし。トランクに冬服いっぱい詰め込んで旅だつことにした。
その他にも、黄熱病の予防接種を受けたり、マラリア対策をしたりと、出張一つとっても、何かと準備が必要なのがアフリカである。
日本人にとって、全く免疫のない世界へ行く、わけだ。ハンターハンターに出てくる暗黒大陸を思い出す。
日本にいる時は、天気の良い日に、緑豊かな公園や川沿いをランニングして、芝生の上に寝転がるのが楽しみの一つではあるが、
きっと、アフリカでそんなことしたら、様々な虫に刺されて、お前は何をやっているのだ、と叱責を受けるのが、おちだろう。
ランニングの代わりに、ビクトリア湖での魚釣りを趣味にしよう。
果たして、ビクトリア湖の朝焼け、100万羽のフラミンゴ、キリマンジャロの白い雪、そしてアフリカの方たちの美しい瞳は見れるのだろうか。
地球温暖化により、もう100万羽もフラミンゴはいない、と聞いてはいるが、、、、。
それでも、使命感をもって仕事に取り組んでいる限り、きっと感動的な出会いはきっと多かろう。
これから、ささやかな感動を伝えていけたらと思う。
因みに、アフリカ赴任が決まった時に、ある友人に伝えたところ、読んでみろ、と差しでくれた一冊の本がある。
かの有名な、「風にたつライオン」である。さだまさしさんの歌が、やがて本にもなり、映画となった。映画は2015年に公開されたので記憶に新しい人もいるはず。
感銘を受けた。私も、この小説に出てくる、コイチロさんの様に、命のバトンをつなげていきたい。
そして、風とは言わず、槍が降ろうが、台風がこようが、立ち向かうのだ、という意思を持って、このブログタイトルが決まった。
ライオンという百獣の王の名を借りるのは、おこがましいので、狼にしておく。
狼から狼へと一冊の本が手渡され、それから、また物語が紡がれていく事を期待して。
それでは、とりあえず、ナイロビへ行ってきます。

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