SHARE
facebook X LINE
私たちの活動

【東北支援】被災地のいま-震災から5年-

「波にのまれ、水の中で20秒ぐらい息ができず死を覚悟した。流されながら、たまたま見つけた雨どいに掴まって助かった。街が津波に壊されていく音が今も耳に残っている」
宮城県南三陸町シルバー人材センターの事務局長だった鈴木清美さん(59)は、震災当時を振り返り、そう話す。今は町の至るところが工事中だが、「復興の実感はない。まるっきり違う街ができようとしている。今になって、もう同じ場所には住めないんだという実感がわいてきている」という。
未曽有の被害をもたらした東日本大震災から5年。被災地ではハード面の再建は進んでいるが、住民は今なにを感じているのか。ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)が活動する南三陸町で話を聞いた。
三浦久子さん(68)は「津波の苦しみが薄れたころに別の苦しみがきた。家がない辛さが今になってよく分かる」と話す。「災害直後は生きるために夢中で、辛さは二の次だった。4年以上経って落ち着いてくると、これからの生活をどうするかが重くのしかかる」という。安定した人との繋がりができた今の仮設住宅も、いずれは出なければならない。転居先で新しいコミュニティになじめるか、そんな不安もつのる。
震災の「風化」も気がかりだ。「津波のことを伝えたいけど、聞きたがらないと思う」と志津川中学校2年の西條なずなさん(14)は言う。今も被災地を訪れる人はいる。しかし、災害直後に比べて確実にその数は減り、当時の体験を話しても以前のような反応はないと実感している。
それでも、復興の支えになるものを尋ねると、三浦さんがこんな話をしてくれた。「ボランティアが縁で毎年会いに来てくれる人たちがいるんだけど、私の表情が年々変わってきていると言ってくれるの。それがとても嬉しい。近くても遠くても、人との繋がりが力になる」。
5年の歳月の間に、人の気持ちも支援のニーズも大きく移り変わってきた。その中でも変わらないのは、やはり人やコミュニティの絆の大切さだろう。PWJは今後も東北のみなさんに寄り添い、必要とされる支援を続けていく。
東北東北
PWJの子ども支援事業「わらすこ探検隊」に参加していた西條なずなさん(2012年8月)、当時の写真を見、「磯観察やかまぼこ工場の見学が楽しかったな。友達もいっぱいできたし、自分の町のことを知れたのがよかった!」と笑顔が広がった(2016年1月)

東北
現在はPWJが運営を支援するNPO法人「びば!!南三陸」の代表理事を務める
鈴木清美さん(左から7番目)と同法人の講座に参加する三浦久子さん(同5人目)

東北
かさ上げ工事が進む南三陸町の街並み

▼関連リンク
報告書完成のご報告(お礼ならびに活動報告)(2016.3.11)
 

SHARE

SUPPORTご支援のお願い

支援が必要な人々のために
できること

ピースウィンズは世界各地の地震・洪水・干ばつなどの自然災害と、
紛争や貧困など人為的な要因によって
生命や生活の危機にさらされた人を支援しています。
また、復興・開発のために支援を行います。