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【東北支援】コミュニティの復興はこれから~震災4年へスタッフの思い~

2万人近くが死亡または行方不明となり、30万戸近くの住宅が全半壊した東日本大震災から2015年3月11日で4年を迎えます。被災地では盛り土・かさ上げ工事などの大規模な工事が進み、災害公営住宅も徐々に完成していますが、現地で支援活動を続けてきたピースウィンズ・ジャパン(PWJ)のスタッフたちは「コミュニティの再建はまだまだ」「復興がすごく進んでいるとは思えない」と感じています。PWJスタッフの思いとともに、被災地の現状をお伝えします。

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仮設住宅での生活は予定を大幅に超え、町を離れる決断をする人もいる=宮城県南三陸町

■住まい再建進まず町を離れる
PWJは震災当初から被災地での緊急支援を実施し、漁業や商店街の復興支援、子どもたちの支援、コミュニティ復興支援を重視してきました。現在は、宮城県の気仙沼市と南三陸町に事務所を置き、主に南三陸町で支援を続けています。
東北4年PWJスタッフの西城幸江(33歳)は、同町の出身。震災発生時、西城は青年海外協力隊の一員として、パラグアイで活動中でした。両親は無事でしたが、両親が営んでいた鮮魚店や住居は津波で全壊しました。西城は任期終了を待たずに帰国し、PWJのスタッフとして活動を始めました。
震災から間もなく4年を迎えるふるさとの状況について西城は「復興がすごく進んでいる感じは見受けられない」と話します。「仮設住宅での生活は2年間で、その後、安住の地へ移れるはずだった。でも、それが倍の4年間になろうとしています」。同町ではやっと、最初の災害公営住宅が完成したばかりです。
気になるのは、町に愛着を持っていた父や母の世代が、町を離れ、隣の登米市などへ移る決断をし始めていることです。「病院もデイサービスも使える範囲にあまりないのです。人が戻っていないので商売するにも基盤がない。苦渋の決断です」
2014年12月31日現在、宮城県だけで約36,000人がプレハブの仮設住宅、34,000人余りが民間賃貸借上住宅などで生活しています。このほかに8,000人以上が県外に避難したままです。まちづくりが進行中のため、自力で住宅を再建しようにも建設ができない地区があります。
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復興工事が進む2015年2月の南三陸町内(写真左)。2011年6月(写真右)と比較するとがれきだけではなく、大型の建築物も解体されたことがわかる=同町志津川中学校からほぼ同じ場所を望む
■漁業はほぼ復旧、商店街には厳しさ
宮城県内で被災し、復旧工事が計画されている漁港1,400カ所余りのうち、工事が完了したところは全体の1/4にとどまっています。ただし、漁船の数は震災前の約90%、水揚げ高は2013年の時点で震災前の80%にまで回復しました。
西城は「住民が減ったり、残った住民が復興関連の仕事をしたりしていたので、水産加工業で作業をする人をみつけられないという話をよく聞きます。それでも漁業そのものはかなり戻っています。現在は、国の補助金で漁船をグループで所有する形になっていますが、グループではなく、早く独り立ちしたいという意欲的な漁師も多いです」と話します。

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PWJも力を入れて支援した漁業は、ほぼ震災前の水準に回復した

一方、厳しさが伝えられているのが商店街。仮設店舗で営業を再開した場所などで、まちづくり事業が進み、移転が現実のものとして迫っています。「仮設商店街で営業している商店のほとんどは後継者がいない。移転先で新たな店舗を構えるには、しっかりした構造としなければ建築の許可が下りないのでは、という不安の声も広がっています。住民も戻っていないので、商売もかなり厳しいものになると思います」と西城は話します。
■子どもたちは町の未来に関心
PWJは、地域の将来を担う子どもたちが地域の魅力を知るとともに、さまざまな体験や講座を通じて、広い視野を持つようになってもらおうと、2012年に南三陸町で子どもたちを対象にした「ふるさと学習会」を立ち上げました。ふるさと学習会は現在、地元の一般社団法人南三陸町復興推進ネットワークが「わらすこ探検隊」として継続していますが、PWJもサポートを続けています。
東北4年これらの事業を担当してきたPWJスタッフの鈴木豪(27歳)は「心の中にためているものがあるかもしれませんが、参加している子どもたちに暗さは見えません。『ここに僕のうちがあったんだよ』と話すときでも、悲しい表情を見せるかというとそうでもないのです。戻りたいと思っているかのも知れませんが」と話します。
今も多くの学校の校庭には仮設住宅があり、体育の授業や体育祭などの行事も、校庭の半分だけを使って実施されています。被災し、移転した学校では、他校や公共施設を使って部活動を行っているところもあります。多くの子どもたちが、離れた仮設住宅や移転先から、スクールバスで通学しています。
鈴木が子どもたちに「いま、何がしたい」と聞くと、「高台移転の(工事が進む)現場を見てみたい」という答えが返ってくることがあります。鈴木は「町が変わっていく様子を見ながら、感じるところがあるのでは」と感じています。

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今なお多くの学校の校庭には仮設住宅が並んでいる

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地域の次代を担う子どもたちがお年寄りたちと交流=2014年9月、わらすこ探検隊で

■地域のコミュニティを取り戻すために
PWJは現在、同町内で、高齢者をはじめとする住民たちが集まり、さまざまな活動の拠点となる交流施設の建設を進めています。施設は、地元の皆さんにより「晴谷驛(ハレバレー)」と名付けられました。震災で途絶えてしまった竹細工やグラウンドゴルフを楽しんだり、草刈りや剪定のやり方を覚えたり、新たな創作活動に励んだりする拠点です。
東北4年PWJは、この施設の運営を担う地元団体の立ち上げも支援しています。施設完成後の活動は地元の住民たちが主体となって設立した「びば!!南三陸」(NPO申請中)が主体となる計画です。施設の完成はまだですが、びば!!の活動は2014年から始まり、徐々に地域に浸透しています。
PWJ東北事業責任者の角免昌俊(38歳)は「インフラや公営住宅などのハードの部分は、国などの支援でできることが多い。人と人がつながるための事業は、草の根から進めたほうがいい」と話します。PWJは今後も、人がつながり、コミュニティ再建につながる支援を考えていきます。
※宮城県の復興の進捗に関するデータ出典は、特記がない限り、宮城県作成「復興の進捗状況」(2015年1月11日)
 

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