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私たちの活動

「戦争が終わるまで戻れない」と嘆く国内避難民も 国内避難民の状況を確認

【3月22日スレイマニア】
「イラク中央政府との境界線を越え、自治区に入った多数の国内避難民が生活している村がある」との情報が入りました。情報が事実であれば、すぐに医療やシェルター(住居)の支援が必要になる可能性があります。3月22日、情報収集やセキュリティーを担当するスタッフと医療チームが、スレイマニアからさっそく現地へ向かいました。
幹線道路を通り、境界線に接する街チャムチャマルを経由すれば、村まで車で1時間あまりです。しかし、境界線付近は交戦の危険もあるうえ、途中の村落部にも多くの避難民が入っていることから、2時間近くかかる山道を進みました。
現地の住民や村の行政当局に確認したところ、1週間ほど前から避難民約1000家族が入ってきているものの、約90%はチャムチャマルなど自治区内の家族で、大半が親せき宅に身を寄せている、とわかりました。村内の公共施設なども避難民に提供されていました。屋外で生活する家族もありませんでした。
チャムチャマルやその隣のショーシュの街には、多くの「アンファル・ウィドウ」とその家族が生活しています。1988年にフセイン政権が行ったクルド人掃討作戦「アンファル・キャンペーン」では、「18万人の男たちが連れ去られた」といわれます。夫たちの消息さえ知らされないアンファル・ウィドウの多くが、今なお、経済的にも苦しい生活を送っています。
戦争必至の状況になった17日ごろから、チャムチャマルやショーシュを脱出する住民たちが急増しました。21日までの視察では、チャムチャマルのほとんどの店がシャッターを下ろし、街を歩いているのは銃を持った男性だけという状況でした。住民の9割が街を離れた模様で、スレイマニアや境界線から遠い村落部の親せきらのもとへ移ったといわれています。
途中の道路沿いで、9家族、約30人で数日前から避難生活を続ける人たちに話を聞いていたときです。年配の女性が進み出て、早口で、思いを訴え始めました。「サダム」「アンファル」といった言葉が混じります。元々キルクークの近くに住み、現在はチャムチャマルに住む彼女は、88年に夫や何人もの兄弟を連れ去られたアンファル・ウィドウの1人でした。
「サダム(フセイン大統領)がいる限り、怖くて街には戻れない。戦争が終わるまで、ここを離れない」
彼女は親せきの男性たちの制止も聞かずに、ずっと話し続けていました。スレイマニアに住む彼らは「23日に戻る」といいました。親せきの助けがあるため心配はいらないと思われましたが、クルド人の不安と苦しみが彼女の表情にあらわれていました。
【3月22日の現地】
[町]
スレイマニアでは営業を再開する店舗が増え、4割前後の店が営業している状態。避難先から戻る住民がさらに増えた模様。
[避難民]
中央政府側との境界、検問所は閉鎖されたまま。20日以降、中央政府側から多数の避難民が流入してきたという動きは確認できていません。
[情勢]
イスラム勢力の拠点とされる村への米軍の攻撃のニュースが地元テレビで詳しく報じられていました。

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