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ピースウィンズ・ジャパンは、紛争や災害などの脅威にさらされている人びとに対して国内外問わず支援活動を行うNGOです。

海外人道支援

Overseas

2007.5.30

児島淳のピースウォーターレポートVol.3天からの水を貯める伝統的な方法 (下)

アフガニスタン 海外人道支援

前回に引き続き、天水域の人びとの伝統的な採水法を紹介します。貧しいなかでの貧富の格差や発展のみえぬ農村の実状をみると、複雑な思いをぬぐいさることができません。

伝統的採水法3:手掘り井戸
天水域には、雨期の最盛期にだけ現れるワジと呼ばれる河道があります。このワジ沿いには、少数ながら手掘り井戸が作られています。しかしその水位は不安定で、乾期になれば枯れ上がってしまったり、苦くてとても飲料用には使えなかったりで、とても依存できるものではありません。

天水域の井戸

天水域の井戸
(C)Peace Winds Japan

カギのかけられたカンダの蓋

カギのかけられたカンダの蓋
(C)PWJ/Atsushi KOJIMA

伝統的採水法4:河川まで水くみ
乾期になってこれまで紹介したような水源が枯渇すると、天水域の人びとは、遠い河川まで毎日水くみにいくことになります。我々が調べた多くの村では、カンダや井戸は、個人所有されていました。カンダを掘削できる家はやはりそれくらい経済的余裕のある家であるようです。また、カンダの取水口には蓋がされていて鍵がかかっている場合が多いです。村落共同体のあり方も、ここでは大分シビアなようです。

サリプル国内避難民キャンプ(2002年)

サリプル国内避難民キャンプ(2002年)
(C)Peace Winds Japan

水不足になれば、貧しい村のなかでもさらに貧しく、カンダや井戸を持たない人びとは川まで水くみに行かねばならないことになります。水くみに片道3時間以上をかけている村はざらにあります。ここで運搬に使うロバを持たない、さらに貧しい村人は、家畜や種もみなどをあらかた食いつぶした後、村を捨てて国内避難民(IDP)となるしかありません。PWJが2001年から2002年までサリプルで運営していた国内避難民(IDP)キャンプは、それまで何年も続いていた干ばつのため村で生活することができなくなってサリプル中心部に出てきた天水域の人びとへの支援でした。

PWJが支援する前のキャンプ(2001年)

PWJが支援する前のキャンプ(2001年)
(C)Peace Winds Japan

なお、アフガニスタン南部ではカレーズがという地下水流を採水する手法が有名ですが、北部では一般的ではありません。
天水域では、自分の生まれ育った土地であるのにそこで安定して暮らせない人びとが、粛々と生活を営んでおられます。寒いときには零下10度以下にまで下がるサリプルの冬の、雪に覆われた山なみを望む景色が、まるで日本の東北地方のように見えて私は好きなのですが、それは同時に、江戸時代、凶作に見舞われた東北地方の人びとの話を思い起こさせます。天水域住民の目には、月日の巡りが飢寒と飢渇の連綿たる繰り返しとしか映らないのではないかと思うときがあります。内戦が終わり、その後にやってくると期待されていた発展は、少なくとも農村社会には訪れていません。特に、灌漑水を得られる河川から遠い、過酷な天水農業地域では状況は変わっていないといっていいと思います。これまで書いた採水方法だけからも、いかに天水域の生活が過酷なものかが実感されると思います。

冬場のサリプル

冬場のサリプル
(C)Peace Winds Japan

このような状況のなか、サリプル天水域の人びとの中にも、ケシ栽培を生活の糧にしている人びとがいます。単価の高いケシは、水が少なく、収量が少なくても大きな現金収入をもたらすからです。取り締まっても取り締まっても後たたぬケシ栽培。国際社会主導によるケシ栽培撲滅のための活動は、それ自体では正しい戦略であるかもしれないけれども、アフガニスタンの復興全体で見たとき、致命的なアンバランスを生んでいるかもしれません。だからといって、では何をどうすればいいのか、簡単な図式で答えの見えるものではありません。しかし、少なくとも天水域では、村人の生活を根底から支える水資源と農業生産を安定化することが必要です。新しさはありませんが、やはりこの点に取り組まなければ、状況は改善されないでしょう。

水資源の調査を続ける児島.jpg

水資源の調査を続ける児島(右)
(C)Peace Winds Japan

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