東ティモール(East Timor):支援地域を知る

東ティモールについて知る

人口:約95万人(2005年、外務省ホームページ)
面積:約1万4000平方キロ(長野県とほぼ同じ)
首都:ディリ(人口約15万人)

人間開発指数ランキング:140位/177カ国
(2005年、国連開発計画「人間開発報告書」)

※人間開発指数とは、開発・発展あるいは貧困の度合いを総合的にはかる数字で、平均寿命、教育水準(就学率、識字率)、1人あたり国内総生産(GDP)から計算されています。上位には「先進国」が多く並んでいます。

東ティモールという国

かつてポルトガルの植民地支配を受けていた東ティモールは、1975年のインドネシア軍侵攻以来、インドネシアの支配を受けていました。その後も独立運動は続けられ、1999年8月、インドネシアによる自治拡大の是非(実質的には独立の賛否)を問う住民投票が行われ独立賛成派が圧勝しました。

独立運動をめぐり虐殺事件のおきたサンタクルス基地 (C)PWJ住民投票後の混乱で避難した住民の帰還1999年 (C)PWJ

投票前後、独立反対派によるとみられる暴動で多くの人が避難民となり、住居や公共の建物が破壊されました。破壊された住居は全体の80%ともいわれています。生計をたてるために必要な畑は荒れ果て、農具も壊されてしまいました。

2002年5月、東ティモールは、21世紀最初の独立国として新たに歩み始めました。住民投票前後の混乱と暴力を逃れて避難していた人びとは帰還しましたが、インドネシア経済からも自立を迫られた東ティモールは現在、食物をはじめとする多くの物資を輸入に頼っています。農村では小学校しかない地域も多く、病院や保健施設もありません。

2006年春、落ち着いてきたかにみえた東ティモール情勢は急変。首都ディリの住民の多くが避難民キャンプや出身地に逃れる事態となりました。国づくりの歩みは、まだ緒についたばかりです。

東ティモールでのPWJの活動

住民投票直後から活動

1999年9月末、住民投票の混乱を収拾するため多国籍軍が東ティモールに入りました。その直後、PWJは援助団体として最も早い段階で現地入りし、食糧や必要物資の配給、医療支援、住居修復などの緊急支援的な活動を展開しました。

無農薬・希少種のコーヒー栽培を指導

その後、住民の自立を図るため、PWJが着目したのが、コーヒーでした。東ティモールのコーヒーは1815年にポルトガル人の東ティモール植民地総督ジョゼ・ピントがブラジルから持ち込んだものが始まりとされています。品種改良が行われてこなかった希少な種が、 農薬や化学肥料を一切使わずに栽培されてきました。しかし生産者たちには、コーヒーの品質を維持することや加工して付加価値を付けてより高く売るという発想がありませんでした。PWJは、高品質のコーヒーを生産して日本などに輸出し、その収益を生産者と支援活動に還元することを考えました。

フェアトレード商品として日本で販売

ピースコーヒー(C)PWJ

PWJは2003年からコーヒーの品質向上支援の取り組みを本格化。赤く熟した実だけを選別して加工することや、収穫後すぐに果肉を落とすことなどを、きめ細かく指導しました。2004年からは、自給用農産物の収量アップと多様化、生産者組合「カフェ・タタマイラウ」の組織づくりにも取り組んでいます。また日本からコーヒーや農業の専門家を現地に派遣することも行っています。

指導を受ける生産者は2003年は35世帯でしたが、2006年には225世帯にまで拡大。収穫・精製されたコーヒー豆の量も7トンから26トンに増加しました。この東ティモール産コーヒーはフェアトレード商品「ピースコーヒー」として、オンライン上のピースウィンズ ・ショップなどで販売しています。

 

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