シエラレオネ:支援地域を知る

シエラレオネについて知る

人口:約550万人 (2005年、世界銀行)
面積:約7万平方キロ
首都:フリータウン

人間開発指数ランキング: 176位/177カ国中
(2006年、国連開発計画「人間開発報告書」)

※人間開発指数とは、開発・発展あるいは貧困の度合いを総合的にはかる数字で、平均寿命、教育水準(就学率、識字率)、1人あたり国内総生産(GDP)から計算されています。上位には「先進国」が多く並んでいます。

シエラレオネという国

10年におよぶ内戦と、内戦のさなかに巻き添えとなった市民の手足が切られるという非人道的な行為、反政府勢力による国連PKO要員500人の拘束などで国際社会に大きな衝撃を与えたシエラレオネ。和平への道が開かれ、隣国に逃れていた難民たちは国に戻り、出身地への帰還も進んで生活再建へと歩き出しています。 シエラレオネの安定後には、リベリアなどの周辺国で内戦が激化するなど情勢が悪化し、多数の難民がシエラレオネへと逃れて来ました。しかし国際社会の関心は高くなく、支援にかかわる団体は資金調達に苦しんでいます。

過酷なエピソードで語られることの多いシエラレオネですが、国の成り立ちが奴隷解放運動と密接にかかわっていることはあまり知られていないようです。1787年、イギリスの奴隷廃止論者たちが解放奴隷をシエラレオネに入植させます。92年には、カナダから多数の解放奴隷を入植させ、入植地を「自由の町」と名付けます。その町が現在の首都、「フリータウン」です。その後、イギリス植民地になったシエラレオネが独立を果たすのは1961年のことです。

シエラレオネの最も重要な産業が、紛争の原因となったダイヤモンド関連産業。その性格から「紛争ダイヤモンド」とも呼ばれるシエラレオネのダイヤモンドは、密輸品としても国際社会に流通しているといわれます。西アフリカでの紛争は国際社会にとって他人事ではありません。

空からみた難民キャンプ (C)PWJキャンプの子どもたち(C)PWJ

写真左:空からみた難民キャンプ
写真右:キャンプの子どもたち
(C)Peace Winds Japan

シエラレオネでのPWJの支援

帰還難民、リベリア難民の支援を展開

ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)は2001年4月から、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協力して、シエラレオネ帰還民キャンプの運営を開始。UNHCRの強い要請を受けて同年5月からはリベリア難民の受け入れに踏み切り、リベリア難民の増加に対応して同年10月にはリベリア難民キャンプの運営も始めました。

キャンプ支援ではキャンプ近隣コミュニティーと良好な関係を保つための努力も行い、最大時には3つの難民キャンプの運営にあたりました。 シエラレオネ国内では安定化が進み、帰還民キャンプの人たちのほとんどが2002年5月までに出身地へ戻ることができました。PWJは多くの住民が難民・避難民となったコノ地区での井戸掘削などを行い、再定住の促進と地域安定を支援しました。 リベリア難民の帰還が進み、シエラレオネ政府系の団体が国内に残る難民キャンプの支援にあたることになったため、PWJとしてのシエラレオネでの支援は2006年末で終了しました。

 

井戸の完成を喜ぶ (C)PWJ帰還する難民たち (C)PWJ

写真左:井戸の完成を喜ぶ
(C)Peace Winds Japan
写真右:帰還する難民たち
(C)PWJ/Hidetoshi YANAGIHARA

 

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