モンゴル:支援地域を知る

モンゴルについて知る

人口:約260万人  (2006年)
面積:約156万平方キロ  (日本の約4倍)
首都:ウランバートル(人口約96万人、2005年)

人間開発指数ランキング: 116位/177カ国
(2006年、国連開発計画「人間開発報告書」)

 

※人間開発指数とは、開発・発展あるいは貧困の度合いを総合的にはかる数字で、平均寿命、教育水準(就学率、識字率)、1人あたり国内総生産(GDP)から計算されています。上位には「先進国」が多く並んでいます。

モンゴルという国

ロシア(旧ソ連)と中国という大国にはさまれた内陸国モンゴル。近代以降のモンゴルは政治的にも常に、両国の間にありました。ソ連の支援もあって独立したモンゴルは社会主義路線を歩み、中ソ対立の時期を含めてソ連に極めて近い立場をとってきました。

しかし、ゴルバチョフ氏がソ連で進めたペレストロイカ路線がモンゴルにも大きな影響を与え、1990年以降、複数政党制や市場経済化が急速に実施されます。私有財産が認められるようになる一方、貧富の格差や貧困層の拡大が進み、困難にあえぐ国民が少なくありません。

草原の覇者、チンギス・ハーンは日本でもよく知られた存在ですが、日本とモンゴルの接触は元寇の時期を除いてほとんどありませんでした。しかし、1939年に日本軍はモンゴル領内に侵攻、ソ連・モンゴル連合軍と対峙して敗北を喫しています(ノモンハン事件、モンゴルではハルハ河戦争と呼ぶ)。45年には、モンゴル軍はソ連軍に続いて対日参戦しています。

90年代の市場経済導入以降、日本との関係は急速に深くなり、91年以降は最大の援助供与国ともなっています。また、大相撲や芸能の分野でも活発な交流が行われるようになりました。

モンゴル モンゴル

(C)Peace Winds Japan

モンゴルでのPWJの支援

子どもたちの自立を目指して

長い間、社会主義経済システムを採用してきたモンゴルでは、1990年前後に始まった市場経済への移行により、旧ソ連の支援の引き上げ、国軍の大幅削減、国有企業の民営化、不採算部門の切り捨てが進行し、大規模な人員削減によって失業率の上昇や貧困の拡大が発生しました。体制変革による混乱が続くなか、1996年春には3カ月間におよぶ大規模な草原火災が発生、ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)は被災民への緊急支援を実施しました。翌年には首都ウランバートルに事務所を開設し、中・長期的な開発や自立支援による地域安定化も視野に入れた活動を始めました。

国家崩壊や社会システムの激変が起きるとき、社会的弱者ほど大きな影響を受けます。モンゴルでは、貧困の拡大や社会不安から来る家庭不和などによって多くの子どもたちが家庭の保護を受けられなくなり、学校にも行けなくなりました。草原火災や99年以降の雪害(ゾド)によって草原での遊牧生活ができなくなった人たちの都市への流入が、事態をさらに深刻にしました。

行き場を失った多くの子どもたちが、街で路上生活を送る「ストリートチルドレン」となりました。零下40度にもなるモンゴルの厳しい冬、ストリートチルドレンたちはマンホールの中に生活の場を求め、「マンホールチルドレン」となります。不衛生で、病気にかかる不安はあっても、マンホールの中は給湯管が通っていて、真冬でも15度と温かいからです。

モンゴルモンゴル

(C)Peace Winds Japan

PWJは、体制変革のしわ寄せを強いられた子どもたちが自立に向けたチャンスをつかみ、自分たちの力で将来を切り開いていけることを目指して、子どもたちの支援を中心とした活動を続けてきました。1997年から2006年まで、子どもの保護施設「ホッタイル」を運営し、補習授業などを行ってきました。地方での教育支援にも取り組みました。モンゴル国内の事務所は2006年に閉鎖しましたが、PWJは自立をめざす子どもたちの支援を続けています。

 

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