アフガニスタンについて知る

人口:約2510万人(外務省ホームページ掲載の国連情報センター調べ)
面積:約65万2000平方キロ(日本の1.7倍)
首都:カブール
人間開発指数ランキング:不明/177カ国
※人間開発指数とは、開発・発展あるいは貧困の度合いを総合的にはかる数字で、平均寿命、教育水準(就学率、識字率)、1人あたり国内総生産(GDP)から計算されています。上位には「先進国」が多く並んでいます。
アフガニスタンという国
1979年の旧ソ連の侵攻以来続いた戦乱、99年から3年続いた干ばつにより、アフガニスタンの国土は荒廃し人びとの生活は困窮を極めました。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロとそれに続くアフガニスタン空爆、そしてタリバン政権崩壊から復興への道程は、世界の注目を集めました。

写真左:自然発生的にできた国内避難民のキャンプ=いずれも2001年
写真右:テントさえなく、棒に布切れを渡しただけだった
(C)Peace Winds Japan
アフガニスタンが多くの戦乱に見舞われてきた要因の一つは、アフガニスタンが東西を結ぶ重要な場所に位置していることです。かつてはイギリスとロシアによる権益争いが起き、歴史をさかのぼればアレキサンドロス大王やチンギス・ハーンが攻め入るなど、いくつもの王朝がこの地域の支配をめぐって争ってきました。一方、シルクロードを通って、玄奘三蔵やマルコ・ポーロ、イブン・バトゥータが足を踏み入れました。ギリシャ風のヘレニズム文化と仏教文化が融合したガンダーラ文化が花を開く場所ともなり、破壊されてしまったバーミアンの大仏はその象徴でもありました。
20年来の内戦が起きるまで、アフガニスタンはその美しさで知られていました。「緑のアフガニスタン」と形容され、「アフガニスタンのバラ」は世界にその名を響かせました。復興が進めば、アフガニスタンは再び、その自然の美しさと豊かな文化遺産で知られることになるでしょう。日本との関係も深く、1930年に外交関係が樹立され、農業や工業の専門家による協力もその当時から始まっています。しかしながら、現在のアフガニスタンはなお、水不足や貧困、なかなか安定しない治安などの困難に直面しています。
アフガニスタンでのPWJの活動
「9・11」に先立つ2001年7月、PWJはアフガニスタンにスタッフを派遣して現地調査を実施しました。そして、「干ばつのため、400万人が飢餓に直面し、100万人が国内避難民となっている」ともいわれたアフガニスタンでの緊急支援を決定しました。第2次調査直後の9月11日に発生した米国同時多発テロと10月からのアフガニスタン空爆によって支援の実施が危ぶまれましたが、現地に本格的な冬が訪れる前の11月末、PWJはアフガニスタン国内での支援活動を開始しました。

写真左:雪の峠を越えるPWJ車輌=2001年
写真右:PWJが配布したテントが立ち並んだ=2002年1月
(C)Peace Winds Japan
PWJは当初、アフガニスタン北部サリプル州で国内避難民に対するテントや食糧の配布など緊急支援活動を展開。その後、避難民が帰還した村で、復興支援活動に重点を移して、活動を継続しました。サリプル州に加えて、戦争の傷跡が深く残る首都カブールでも一時期、支援活動を実施しました(カブールで活動する援助団体が増えたことなどから、カブールでの活動は2005年3月までに終了)。

女子高の完成を喜ぶ生徒たち (C)PWJ
現地ではなお治安・政治情勢が不安定な状況が続いていますが、国際社会の支援や注目が再び失われれば、復興の歩みそのものがとまってしまうかも知れません。PWJは安全確保へ最大限の配慮を行いながら、水の確保や水資源調査、女性の自立支援、農業支援などを柱に、現在も活動を続けています。
- 外務省ホームページ アフガニスタン: 基礎データなど











